こんにちは、ジェット谷です。
日本とカンボジアの両国でビジネスを行っているジェット谷が、現地カンボジアから最新情報をお届けするブログです。
先月6月は、昭和・平成・令和の各時代を彩り、日本の各界を牽引してきたレジェンドたちの訃報が相次ぎました。
中村玉緒さん、美輪明宏さん、河野洋平さん、そしてガッツ石松さん。
心よりご冥福をお祈りいたします。
その中でも、私の心に深く残ったのがガッツ石松さん(本名・鈴木有二さん、享年76)の訃報です。第一報は先月11日に流れましたが、実際には6月2日にご逝去されていました。
実は6月初め頃から、YouTubeではガッツさんが出演されていた昔の映像が頻繁におすすめに表示されていました。私も改めて視聴し、「やっぱりガッツさんは面白いな」と思っていた矢先の訃報だっただけに、関係者の間ではすでに情報が共有されていたのかもしれません。
ガッツさんは、プロボクサーとしてアジア人初のWBC世界ライト級チャンピオンに輝き、5度の防衛に成功。その後は俳優・タレントとしても幅広く活躍されました。
4月11日は、『ガッツポーズの日』です。1974年(昭和49年)4月11日、WBC世界ライト級タイトルマッチでKO勝利し、勝利の歓喜のあまり両手を突き上げて喜んだ姿を、当時新聞記者が「ガッツポーズ」と表現したことが由来です。
私が小学生だった頃の現役時代は、試合内容こそうっすらとした記憶しかありませんが、三度笠姿でリングに登場する姿は今でも鮮明に覚えています。
また、俳優としてはNHK連続テレビ小説『おしん』にも出演されました。当時、私は高校生でしたが、『おしん』はまさに社会現象でした。学校へ連日のように遅刻してくる生徒が先生から理由を聞かれ、「おしんを見ていたら間に合いません」と答えると、先生も苦笑しながら納得してしまうほどの人気番組でした。その作品への出演によって、俳優としての地位も確固たるものにされたと思います。
私自身は空手をやっていたこともあり、東洋チャンピオン時代に池袋でチンピラ8人を一人で倒したという伝説が特に印象に残っていました。
しかし、近年になるまで私はそれくらいしか知りませんでした。
栃木県の貧しい家庭に育ち、やんちゃをして保護観察処分を受けたこともあり、中学卒業と同時に上京。働きながらプロボクサーとなり、世界チャンピオンにまで上り詰めた苦労人であり、努力家であったことを知りました。
その半生は、産経新聞で2023年2月から全27回にわたって連載された「話の肖像画」で詳しく紹介されています。世界王者時代の舞台裏から、俳優・タレントとして活躍するまでが率直に語られており、とても興味深く、感動しながら読みました。
その中でも、私の心に深く刺さったエピソードがあります。
ボクシング新人王になったとき、故郷・栃木県粟野町からは応援団がバス3台で駆け付けるほどの熱狂ぶりだったそうです。
新人王程度では「故郷に錦を飾る」などと考えていなかったガッツさんでしたが、町長から「町の誇りだから、ぜひ帰ってきてほしい」と頼まれ、米倉健司会長(2023年逝去、享年88歳)に付き添われ、3年ぶりに故郷へ帰りました。
ここからは、産経新聞「話の肖像画」より引用します。
「すごい歓迎ぶりで感激しましたが、戸惑いもありました。会ったことも見た記憶もないような人が寄ってきて、『親戚だ』『お父さんの昔からの知り合いだ』とか名乗って、米倉会長に『有二は昔はこうだった』『根性のある子だった』とかやるわけですよ。『あなた一体、だれなのよ』と思いました。
東京への帰り道、私はハンドルを握りながら泣きました。米倉会長が『そんなにうれしかったのか』と言うので、『それは半分。涙の理由じゃない。札付きのワルだ、貧乏人の小せがれだとか、これまで散々人のことをバカにしてきたくせに、簡単に手のひらを返されたので何か悔しいんですよ』と答えました。
『石松、人間とはそういうものだ。いいか、新人王で町中が「親戚」だぞ。この後、日本、東洋と上がって、世界チャンピオンにでもなってみろ。日本中が「親戚」になるぞ。でっかい夢を見ようぜ』
さすが会長、言うことが違うと思いました」
(産経新聞「話の肖像画 ガッツ石松〈6〉世界制覇すれば日本中が『親戚』だ!!」より)
最後の米倉会長の言葉が、本当に素晴らしいと思います。
「日本中が『親戚』になるぞ。でっかい夢を見ようぜ。」
さすが世界チャンピオンを5人、日本王者31人、東洋太平洋王者9人も育てたジム会長、名トレーナーです。
結果を出せば、人からの評価は変わり、多くの人が集まってきます。しかし、そのことを皮肉としてではなく、「みんな親戚になる」と表現する懐の深さに感銘を受けました。
米倉会長の器の大きさ。そして、その教えを素直に受け止め、実践したガッツさんの人間力があったからこそ、多くの人に長年愛され続けたのでしょう。
私自身も、小さい小さいながらここ数年のカンボジアでの活動を知って、学生時代の友人や知人から「頑張っているね」とSNSや電話で連絡をいただいたり、会社へ激励の言葉をいただくことがあります。
旧友からの応援は本当に温かく、心から感謝しています。そして、大きな励みになっています。
私も、でっかい夢、でっかいプロジェクトを成功させ、日本人だけでなく、カンボジアの方々、さらには世界中の人たちを「親戚」と呼べるような人間関係を築いていきたい。
そんなことを考えながら、このエピソードを読み返しました。
そのためには、私にも、まだまだ「ガッツ」が必要ですね。
改めて、ガッツ石松さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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小市もあれだけ昔からカンボジアにいたんだからうまくやっていればフン一族、カンボジア中が親戚と呼べる世界線もあっただろうに。
フン一族とは親戚みたいだけど(棒)
でもメールもまともに返せないような奴には無理か。