小学館「NEWSポストセブン」の記者であるカンボジア太郎、元カンボジア日本人会会長・小市琢磨を中心とした、日本人コミュニティーの歴史づくりに関わろうとしていることがXの投稿で見受けられます。
今回の投稿を見る限り、カンボジア日本人会の「表の歴史」をまとめようとしている企画という印象を受けました。あくまでも「表」の歴史です。
小市琢磨が2018年から2025年まで会長職を務めていたこと、その間には、日本・カンボジア外交関係樹立70周年に関連する行事などは事実です。
しかし、歴史を編纂するのであれば、編纂者には中立性、客観性、そして高い信頼性が求められます。日本人会誌が「小市琢磨誌」になってはいけません。
歴史とは、一個人の功績を強調するためのものではありません。日本人会に関わってきた多くの会員、歴代役員、関係者の歩みを、可能な限り公平に記録し、後世へ伝えるためのものです。
現在、小市琢磨に関しては、東京地方裁判所で係争中の事件があり、その中では経歴詐称、14歳児童買春、杉並区児童手当不正受給に関する問題などが争点として扱われています。
これらについては、裁判を通じて事実関係が明らかにされるべき事項です。しかし、そのような重大な争点が残されている人物が、自らの在任期間を含む日本人会の歴史編纂に関わることについては、公平性の観点から不適格です。
自らの経歴や過去に関して裁判で争われている人物が、なぜ自らの時代を含む歴史の編纂に関与するのか?
日本人会誌を作るのであれば、その前提として、係争中の問題について十分な説明がなされ、事実関係が明らかにされる必要があります。
また、過去の会長や行事の写真を用いた投稿についても、見る人によっては実際以上の関与や功績を連想させる可能性があります。
例えば、小渕優子氏との写真が投稿されていますが、2016年当時、小市琢磨は日本人会会長ではありません。この写真がどのような場面で撮影されたものなのか、どのような立場で同席したのかについて説明がなければ、写真だけを見た人が、特定の事業や公的行事に深く関与していたと受け取る可能性があります。
仮にANAのカンボジア就航に関係する場で撮影された写真であるならば、なおさら、どのような立場で参加したのかを明確にすべきです。写真の見せ方によっては、実際以上の関与や実績があったかのような印象を与えることもできます。
小市琢磨はこの点、要人との画像で他人の信用借りの自己演出に長けています。
過去の写真や肩書、著名人との同席を、自らの実績や権威を補強するために利用しているように見えるので、その姿勢自体が問われるべきです。
そして、今回の件を見て、私は現在の手束会長による新体制にも改めて疑問を感じます。
会長職を退いた後も、小市琢磨が日本人会やその役員、日本人コミュニティーの事業にこのような形で関わり続けているのであれば、新体制との関係性や、歴史編纂事業における役割を明らかにすべきではないでしょうか。
歴史をまとめること自体に否定はしませんが。しかし、その歴史が特定の人物の自己評価や自己演出のために利用されるようなものであってはなりません。
日本人会誌は、綺麗ごとや一個人の功績を飾るための出版物であってはなりません。「日本人会の歴史を残す」という聞こえのよい編纂意義を掲げながら、結果として「小市琢磨誌」を作るようなことがあってはならないのです。
編纂は、小市琢磨本人ではなく、利害関係のない第三者や、複数の歴代役員、一般会員、外部有識者などによる編集体制で行われるべきです。
特定の一人が資料を選び、写真を選び、自らの在任期間を評価し、自らの功績を記述するような体制では、客観的な歴史とは言えません。
現在、小市琢磨を巡っては、東京地方裁判所で争われている事項を含め、さまざまな問題や疑惑、事件が指摘されています。
そうした状況の中で会長職を退き、その後、自らが中心となって自身の在任期間や功績を歴史として残そうとしているように見える姿勢には、私は強い違和感を覚えます。
数々の事件や疑惑が浮上し、会長職を退いた後に、自らの功績を自らで彩ろうとしているように見えるのであれば、その編纂事業の中立性は厳しく問われなければなりません。
歴史上には、自らの功績を誇示するために、歴史を都合よく記録し、美化してきた権力者が数多く存在しました。
歴史は、本人が自らを評価し、自らを飾るために作るものではありません。その発想は、組織の歴史を一個人のために利用するという点で、極めて危ういものです。
私は前回のブログで、小市琢磨について「人の上に立つ資質がある人物とは思えない」と書きました。
今回の歴史編纂構想を見る限り、その考えはさらに強くなりました。組織全体の歴史を残すことよりも、自らの功績をどう記録し、どう見せるかを優先しているように見えるからです。
日本人会の歴史は、小市琢磨個人の所有物ではありません。
日本人会に関わってきたすべての人の歴史です。
だからこそ、日本人会誌は決して「小市琢磨誌」になってはなりません。
綺麗ごとで飾られた編纂意義のもとで、一個人の自己評価を歴史として残すことを、日本人社会は許してはならないと私は考えます。
編纂するのであれば、小市琢磨以外の人物が中心となり、複数の関係者による検証と合意のもとで進めるべきです。
歴史とは、個人の功績を飾るためのものではなく、事実を公平に後世へ伝えるためのものです。
※私は、『表』でなく、『真』の日本人会誌、歴史にすべきで、小市琢磨の不正。不法行為を明らかにしてから、『以下理由で除名』とすべきです。編纂後、全てが明らかになってからでは日本人会の恥です。実際、小市琢磨は海外日本人の恥です。小市琢磨自身も自身の現在立場に危機感を感じての構想でしょう。綺麗ごとで騙されないことです。
小市琢磨にとって、唯一の肩書が『日本人会会長』だったので、いつまでもそこにしがみつきたいが本音でしょう。
小市琢磨の14歳児童買春は、カンボジアだけでなく、国境がない犯罪です。
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たまたまいた芸能人の写真を載せているイメージ。大体民主党の青2歳議員の秘書が自民党の議員とつながりがある訳がないwこいつ本当に馬鹿すぎる。本当に虎の威を借りた狐。詐欺師が人に信用してもらうためにやる手法と全く一緒。
大体民主党の青2歳議員の秘書が自民党の議員とつながりがある訳がない・・・・当たり前です!選挙区の人間が面会を求めれば、議員室にはいくことができますし、挨拶できれば「名刺」くらい渡します。
議員を知っていることではなく、その議員に何をお願いしているかが重要なんです。
一緒に写真を撮るなんて、ごくごく普通ですから。議員室には、議員の執務屋、面会室、秘書室、の3室です。執務室ならば、そこそこの関係か?とも思います。ましてや、パーティーで撮った写真なんて!
フンセン上院議長だって、工場へ視察へ行けばいくらでも一緒の写真を撮ることができます。フンセン氏が出席するある葬儀に参列した時、彼と一緒の写真を撮りたい人が長い列を作っていました。
皆さん騙されないでくださいね。
議員の名刺の裏に「この人をよろしく」との裏書が無ければ、ただ切手コレクションと変わりありません!
どこまでも凄いと思い込みたい元会長さん。現実はただのカンボジアの汚点です。
カンボジア太郎氏の謎のリポスト。
「私は当然ながら児童買春や女衒屋商売などに関与したことはありませんが、そのような事案に関連しての美人局のようなトラブルなどは、耳に聞こえて参ります。」
太郎氏からの被害を訴えている女性との対談や公開の場での説明を見てみたいものです。
また、日本人会の収支報告書についても十分な説明がなされておらず、過去に指摘されている児童手当や約300万円に関する疑問についても、多くの人が納得できる説明を求めています。
SNSで発信を続けるのであれば、その前にこうした疑問に対して正面から説明する場を設けるべきではないでしょうか。
SNS上で存在感を示すことよりも、まずは説明責任を果たすことが先だと思います。長年の在住歴や肩書きを語るだけでは信頼は得られず、最終的に評価されるのは行動と説明責任です。
馬鹿猿の遅漏は知らないと思うが、志公会の政治資金パーティー券2万円払えば、麻生太郎議員との2ショット写真すら撮れる。カンボジアのド田舎の馬鹿がたかだか議員とのショット写真を上げる位、恥ずかしい行為はないということに全く気付いていない。
本当に情けない。