カンボジアは特殊詐欺や反社会勢力だけでなく悪い日本人が多いです。
「詐欺に遭った」「ネットで誹謗中傷された」といった相談を、直接来訪されたり、メールやメッセージでいただくことが一定数あります。
内容をお聞きした上で、「弁護士を紹介しましょうか」「訴訟を検討してみてはどうですか」とお答えするのですが、多くの方は「いや、そこまではしたくない」と言われます。
では、「私は何をすればいいのですか?」と尋ねると、「代わりに告発してほしい」という要望が返ってくることがほとんどです。
そこでさらに、「私があなたの代わりに表に立ったとして、あなたはどのように応援してくれるのですか?」と聞くと、「コメントで援護します」といった程度の返答です。
要するに、自分は安全な場所にいながら、私にリスクを負って戦ってほしいということです。
当然ながら、そのようなことは引き受けません。なぜ私がリスクを背負い、場合によっては費用までかけて行動しなければならないのでしょうか。
私は子どもの頃から「ケンカは自分一人でやるものだ」と考えています。
実際、日本人にも「カンボジアでの件、あれだけの多勢の相手を一人で相手にしているのはすごいですね」と言われました。私は責任もリスクも理解した上で、腹をくくり、一人で戦っています。
自分でできない、裁判もしたくないのであれば、泣き寝入りするしかありません。
また、私を前面に立たせようとする人に限って、後から責任を回避したり、「そこまでしてほしいとは言っていない」と態度を変えたり、自分だけ良い人ぶる、告発している相手側に相談に行き、相手と告発する私両方に良い顔をしようのケースばかりでした。これまでの経験から、そうした傾向はよく分かっています。
「裁判をすればいいのでは」と提案すると、「お金がない」「体調が悪い」「事情がある」といった理由が挙げられます。
しかし、それは私や戦うという行為とは本来関係のない問題です。
私をけしかけて自分は安全な立場にいようとする姿勢は、率直に言って卑怯だと感じます。
ただし、すべての人を突き放しているわけではありません。
これまで、大学経営者から脅迫を受け不当な強制退学をされた被害者学生達や、詐欺被害に遭った女性などに対しては、対価を求めず私費で支援してきました。そうした人たちは、覚悟があり、裏切らず、しっかりと応援もしてくれました。
少なくとも、多くの相談者にはその覚悟が見えません。
私にも人を見る目はあります。
少額の被害で裁判をしても訴訟金額が損害額を上回り割に合わないのであれば、「騙された自分にも責任がある」と受け止め、諦めるという選択が現実的です。
例えば名誉毀損の裁判は、文字通り「名誉のために戦うもの」です。お金は二の次、三の次です。訴訟費用が賠償額を上回っても構わない、という覚悟のある人が行うものです。
もし名誉よりも費用の方が気になるのであれば、冷静に判断し、泣き寝入りするのも一つの選択です。
感情に任せて相手に直接危害を加えれば、一時的にはスッキリするかもしれません。しかし、その代償として刑事責任を負うリスクがあります。
そう考えれば、司法の場で費用をかけて争う方が、結果的には合理的だと私は考えます。
小市琢磨の14歳児童買春は、カンボジアだけでなく国境のない犯罪です。
大使植野篤志が容認しても犯罪であることには変わりがありません。
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