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私思うところ

旧日本陸軍で戦争経験がある学校の先生の思い出 戦後30年とは?

こんにちは、ジェット谷です。

日本、カンボジア両国でビジネスを行っているジェット谷が現地カンボジアから最新の情報をお送りするブログ、チャンネルです。

カンボジアは親日で微笑みの国、国民性ですよね?

よく頂く質問ですが、私はみなさまと異なった意見を持っています。

親日って、日本人の勝手な感情移入で、親日でなく親円であり、金くれる、応援してくれる国、人で親○○になるだけです。

微笑みの国、国民性?は、内乱が終わってまだ30年経過していません。争い事はしたくない、争いは割に合わないの現れです。

微笑みの国民でも、スイッチが入れば平和ボケした日本人などあっという間にやられてしまうでしょう。私と同年代の方は戦争、戦場を経験してきた方々です。

私の勝手な私見です。

さて戦争が終わって30年経っていないカンボジアから、私の子供の頃を思い出すことがあります。少し書き留めておきたいことがあります。

私が小学校3年生、昭和51年1976年の時の体育の先生が、旧日本陸軍の元軍人だった方でした。

雨で外で体育できない時は教室で保健体育の授業であるはずが、いつも軍隊時代の話をします。

きょうつけい!休め!を延々と1時間やらされたり

前ならえ!違う~!パチ~ン!ビンタ~!痛え~

と激怒されます。前ならえは普通こぶし一個分を開けてやりますよね。

違うのです。軍隊はです。

アホー!背のう(リックサック)があるから、そんな狭さではダメだ!

と怒鳴りだして、直ぐに思いっきりビンタ入れる先生でした。

そんな軍隊経験が無いから知らないではないですか、理不尽なビンタです。

でも9歳の子供ですから先生が言っていることがおかしいと感じる前に怖かったです。

昭和42年生まれ、戦後生まれ平和ボケ世代ですが、戦前戦中の旧日本陸軍がどんな感じであったかは、この先生のおかげでなんとなく分かりました。

ある大雨で体育が休みになった時、教室での保健体育でなく軍事教練で、

『雨の中の行軍中、隊長殿が軍馬に乗って軍刀を抜いてぐるぐる回していた、軍刀が雨に濡れて光って綺麗だった。。。』

なんの授業や???なんの意味がある???怖い変な先生。。。

当時分かりませんでしたが、今思えばこの先生は、『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』戦場での強烈なストレスで患っていたんだと思います。

体育の授業が休講になった大雨と戦場で大雨が降ったある日が重なってしまっていたのでしょうね。戦争話している時に瞬間、呆然としたり、言葉が止まる(回想、ラップ)ことがあった記憶があります。

この先生、お寺の住職やりながら学校の先生やっていました。

お寺の住職も戦争の影響でなったのかもしれません。

カンボジアと関係ある???の話ですが、戦争を知らない世代の私、日本でさえ戦後30年くらいって戦争色が残っていたこと。戦後30年経っていないとは、こういうことだと。そして戦争帰りの先生を記録として書いてみました。

この画像は、

TV番組 主演西郷輝彦の『どてらい男(ヤツ) 戦争編』の時の軍曹殿です。

号令かける時の先生が、この軍曹殿と同じでしたので引用しました。

いつも先生が来たと思うより、軍曹殿が来た!また思いっきりビンタされる!いやだな~と思っていました。

『どてらい男』は、丁稚から商社山善を興して戦後上場企業まで成長させた山本猛夫をモデルとした立志伝です。

旧日本陸軍の先生に体育の授業を受け持って頂いている時に放映されて人気があった番組です。確か今アマゾンで見れるかな。

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