児童買春は国境のない犯罪です。
「公邸に御呼ばれされたい、公邸に招かれることを栄誉と感じる人がいるんですよ」
そう聞いて、そんな考えがあるのだと正直なところ笑いました。
私自身の価値観では、それを栄誉だと感じることは全くありません。
わざわざ海外、しかもカンボジアまで来て仕事をしている以上、求めるのは形式的な評価ではなく、仕事として結果を出すこと、成功することです。それこそが自分の誇りであり、何よりの栄誉になります。
一方で、カンボジアでは事業開始の式典に日本大使を招いた、という報道を目にすることがあります。しかし、その後の経過を見ると、必ずしも事業が成功している例ばかりではありません。中には計画が頓挫してしまった、建設頓挫したケースもあります。(NEWSCST)
私は、事業の成否は「飾り」や「みこし」で決まるものではなく、実力と中身で決まると考えています。形式が先行すること自体に、むしろ違和感を覚えます。
また、仮にその「飾り」が、社会的に問題のある行為や疑惑と結び付いて語られるのであれば、その価値は大きく損なわれます。日本の国を代表する立場にある人物や場面には、より高い倫理観と慎重さが求められるはずです。
しかし、その慎重さが全く感じられず、結果として国の信用を貶めているとしか思えないのが、この一連の児童買春のこの二人、大使 植野篤志と日本人会会長 小市琢磨です。
児童買春は犯罪です。
カンボジアだから許される、という話では決してありません。
児童買春は国境のない犯罪です。
場所が海外であろうと、発展途上国であろうと、許容される余地は一切ありません。
それを「現地の事情」や「文化」の問題にすり替えること自体が、極めて卑劣です。

それと並び立つことを許している大使の姿を、国権の象徴と呼ぶことは到底できません。
それを貶めた植野篤志の責任は極めて重く、国益を著しく損なう行為だと言わざるを得ません。
児童買春を事実上容認しているかのように見える大使、公務員が、他にいるでしょうか。
ところで、私が大使を厳しく批判することで、「国を敬う気持ちがないのではないか」と思われる方もいるらしいです。
しかし、それは違います。
私は、日本を敬い、愛しています。
ただし、役人や肩書きそのものが国家ではないとも考えています。
親兄弟子供、友人、仕事仲間、そして日々を共に生きる周囲の人々――その集合体こそが国家であり、日本です。
日本を愛していますし、日本のために頑張れるのです。
だからこそ、日本の名誉や信頼を損なう可能性のある行為や状況を見過ごすことはできません。
小市琢磨は、『デマだ!』と匿名アカウントや代弁者を使って叫んでいますが、自分の口で言えないのは卑怯者がやることです。児童買春で女児に牙をむける卑劣な行為と同じです。日本人会会長、公の立場なので説明の義務があります。
また公的な立場であり横にいながら何もしない植野篤志は児童買春のほう助罪に値します。
疑惑や問題点があるのであれば、法と事実に基づいて明らかにされるべきです。
私自身も私費で、児童買春に関わったとされる小市琢磨について、2月以降、訴訟提起に向けた準備を進めています。
訴訟という正当な手続きを通じて、児童買春、経歴詐称、児童手当不正受給疑惑などの問題を明らかにしていく覚悟です。
それが、日本のためになると信じているからです。
とにかく、児童買春や各種疑惑を抱えた人物が、日本の国権の象徴である大使と並び、日本人の前で鏡割りをし、挨拶をする――
その光景は、国家が反社会的なものに侵食されているかのような感覚を覚えさせ、決して気分の良いものではありません。
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