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私思うところ

長期帰国できない、子供に会えない父親に『司馬遼太郎からの手紙「ミッドウェーの艦長」』

先日、コロナによる渡航規制や仕事多忙により2年間近く日本帰国ができず子供と会えていない父親とお話する機会がありました。

私も娘が10歳から現在に至る約10年間、米国と日本、米国とカンボジア、日本とカンボジアと海外生活で年に何回かしか会えない家庭環境です。気持はよく理解できます。

会える機会があるにも関わらず面倒臭がって帰国しないは何とも言えません。しかし仕事の事情で家族が一緒に過ごせないのは、時代錯誤、世代ギャップがあると自覚している私は、父親とはそういうものだから仕方がないのではとお答えしました。

現在54歳の私です。同級生にも仕事多忙で家庭を顧みれず、子供としっくりしていない悩みの相談、愚痴は少なくありません。共通しているのは同年代のお父さんたちは各分野で最前線で仕事をしているということです。

命かけてか?家族のためか?または自分の野心か?それぞれ事情、理由があって仕事に邁進していると思いますが、自分の父親が何やっているかなどはほとんどの子供が分かっていないのではないでしょうか。

将来、子供が大きくなってからか、父親が死んでから、自分の父親ってこんな人であったなと思われるくらいで父親は十分ではと私は思います。

ただ子供に父親として大切な一言を伝えなければならない時が必ずあります。

大切な一言を伝える時、会えていない子供や、しっくり行っていない子供には、難しく畏まってでなく、サラッと言い渡す方が自然ではと思います。

まあ、こんな話を家族、子供と長い間会えていない父親にしました。

その時に20年前に読んだ書物の話と私のことを少し話させて頂きました。

「司馬遼太郎からの手紙」(週刊朝日編集部編:発売日1998年11月30日)に、「ミッドウェーの艦長」という章がありました。

内容を引用させて頂きます。

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司馬さんの産経新聞時代の同僚だった、青木彰氏への手紙が紹介されています。青木氏のご尊父は、旗艦空母「赤城」艦長、青木泰二郎大佐(当時)。

真珠湾の奇襲に成功した日本軍だったが、ミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」の四隻の主力空母が撃沈される。太平洋戦争のターニングポイントでこの戦いを境に海軍は敗北への道をたどる。

「赤城」の艦長は艦と運命をともにしようとしたが、副官らが「戦争はこれからも続くのです。」といって力づくで艦を離れさせた。

親父は艦隊勤務が多かったのでよく顔も知らないぐらいで母子家庭のようなものでした。ミッドウェーで親父も沈んだと思っていたところ、二ヶ月ほどたった夜にひっそり帰ってきた。手短に話をして、それから二日後にはもうどこかに行ってしまった。

山本五十六さんからは、「いちいち艦と運命をともにしていたらとても人手が足らない」と慰められたらしい。親父の顔をぼんやり見ながら「いい死所が与えられればいいな」と思いました。しかし父親は死に場所を得ることができませんでした。

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付け加えますとその後、現職の軍人としては最も堪え難い屈辱が、青木大佐を待ち受けていました。海戦後しばらく閑職につき、ほとぼりがさめてから前線復帰する方針であったが「艦を捨てて生還した艦長」を非難する世論があり、予備役編入になりました。そこに海軍兵学校の同期会に呼び出され満座のなかで罵られ、「クラスの面汚し」として、頭から酒を浴びせられた、一言の抗弁もせず、されるがままに任せた青木大佐があった。

私は青木大佐、親父さんが自分の先行きがどうなるか分からない今だから子供に話しておかなければならないことがある。しかし母子家庭のような環境にしている親父さんが、ああだこうだ言うのもなんですから、ふらっと帰宅して子供にはサラッと伝えに来たのではないかなと感じています。

私の話に戻ります。

今年2021年11月末日に4日間だけカンボジアから日本帰国をしました。日本での仕事もあったのですが、故司馬遼太郎先生の記事、ミッドウェーの艦長の息子さんの私記の『手短に話しをして』の部分が突然23年ぶりに頭に蘇って横切って『今大学2年生になる娘に父親として伝えておかなければならない』と感じたことが一番大切な帰国理由でした。

世界中誰もが予測もしなかったコロナパンデミックによる混乱、父親の近況、日本では考えられないような異常、不測な事態の中での父親と事業の現状と今後について、そして娘の将来について本当にサラッと『手短に話しをして』直ぐにカンボジアに戻りました。

あとは父親の適した居場所で思う存分働けば良いと思っております。。。

こんな話をしたかな。。。

色んな親子関係があると思いますが、私のところ、父親の姿はこんな所です。ある意味、日本で母親がしっかりしているのでこんな関係が成り立つ部分が大きいと思います。

このブログを書こうと、「司馬遼太郎からの手紙」(週刊朝日編集部編:発売日1998年11月30日)をアマゾンで探したのですがありませんでした。正確に書きたいと思い、家の中を探してもらって、改めて23年ぶりに読み返して戦時中の非常での父親像、親子関係を見つめることができました。

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